最近は、読書が退屈にならないように時代物と現代物を交互に読んでいる。この話は最近読んだ時代物の本に出てきたある言葉の話です。
その言葉は”子供は七つまでは神のうち”というものです。最新の医療の中で暮らす現代の日本の人々には?であろうが、日本でも一世紀前くらいまで、厳密に言えば近代化される前の日本では、この言葉は当たり前の事柄であった。現代社会でも貧困にあえぐ国々では、この言葉は現実のものである。とりあえず先進国と言われている日本では今はあまり聞かない言葉かもしれない。
日本で今でも11月15日に行われている「七五三」。子供の成長を祝うこの行事は、昔は重要な意味を持っていました。現在のように医療が発達していなかった時代、お産はつねに死の危険を伴うものでした。難産で亡くなる女性も多く、やっと生まれてきた子どもたちも死亡率が高く、幼いうちに子をなくしてしまう親が多かったそうです。”子供は七つまでは神のうち”と言われ、七歳までは神様から預かった子供であるという意味です。七歳まで無事に生きてきた子供の成長を祝い、氏神様に感謝のお参りをするのが「七五三」です。これを契機に子供は現世に生まれ変わり、自分の足で生きていくことになります。
「七五三」について
三歳・・・・髪置きの祝い(男女) 男子は剃っていた髪を伸ばし始め、女子はおかっぱ頭から結髪に改める。
五歳・・・・袴着の祝い(男子) 男の子に初めて袴を着せる。
七歳・・・・帯解(女子) 帯の代わりに身につけていた紐を取り、初めて帯を結ぶ。
これが「七五三」の原型ですが武家社会で行われていた慣習で、一般庶民のものではありません。またこの慣習は関東地方の慣習で、関西では一般的ではありません、関西では数え十三歳の「十三参り」がこれに代わるものでした。現代では形式化されていますが、親が子供の健やかな成長を願う行事として現代に伝わっています。
”子供は七つまでは神のうち”、今の日本では、この言葉は死語になりました。でも現在世界中で一年間で五歳未満で亡くなる子供が660万人近くいることを知っていますか?これでも各国や民間団体が取り組んできた努力があっての数字なのです。1990年には倍の1260万人の子供が五歳になれずに亡くなっていました。現代社会では貧困や病気だけでなく数々の紛争や戦争も大きな原因となっているそうです。本当に戦争を止めれない人類はアホなんだろうか???
日本は世界の他の国からみればとても変な国だ。その変な代表格は人間を含めた生きの物の生前・現世・死後への感じ方かもしれない。日本へは大和時代に仏教が入り、武士の時代には儒教が入り、キリスト教も来たけれど、結局どれも日本人の精神を支配できなかった。寺は日本中にあり、死んだら墓は寺にはあるが、でもキリスト教徒やイスラム教徒のような一神的な精神の支柱ではない。毎年、新年のお参りは神社だし、結婚式は教会でなんて人も大勢いる。今色々な国の人が日本へ来るが、多分この世界でも稀な宗教観には皆最初はビックリ、でもこれもありかな?この方が平和で幸せかも?なんて思うかもしれない。
なんせ年季の入った八百万の神々の国だから面白い。日本人はこんなことを言う、例えば猫も長生きすると猫又(妖怪)になる、道具だって壊れずに百年経つと、あやかしになる。国中で、地域で色々な精霊が人間と暮らしていても不思議ではないと考えるのが日本人。
最近、岩手の遠野に関する本を読んだ、色々な伝承が数多く残されている地域の話で面白かったし、宮部みゆきの百物語シリーズも大変面白い、浅葉なつの神様の御用人シリーズも面白く、先日第7巻を読んだけど日本書紀以前の神様がたくさんが出てきて、とても面白く読ませてもらった。こうゆう系統の本が好きなのは典型的な日本人なのかな????と思う次第です。
加古里子さんが亡くなられた、92歳は大往生であろうか。知らない方は女性?と思うかもしれないが、”かこ さとし”と読みます、立派な男性のお爺さんです。
絵本や児童文学などに興味が有る方はご存知かと思いますが「だるまちゃん」シリーズや「からすのパンやさん」などで知られる絵本作家です。60年近い作家生活の中で生涯現役を貫き死の寸前まで絵本を書き続けていました、その数600点近くになります。
加古さんは変わった経歴の持ち主です、戦時中は東京大学工学部の学生でした、そして多くの仲間が戦場へ散っていくなか、軍国少年だった加古さんは極端な近視で兵役を外され思わぬ生をもらうのでした。大学を卒業し終戦後、昭和電工と言う会社に勤めます。これもご存知の方は余りいないかもしれませんが、戦後の政財界やGHQを巻き込んだ大疑獄事件「昭電疑獄」、これで時の芦田均内閣が崩壊するのですが、なんと入社して直ぐに会社は社長は逮捕されるや大変な状況でした。給料が出ずに代わりに佃煮が支給されたそうです、でも大混乱の会社を彼は辞めず大学時代から志した研究に没頭し36歳のときに博士号を取ります。
会社に勤めながら、戦後の教育や医療などに困難を抱えた人々を支援する「セルメント活動」に力を注ぎます、この中で戦災にあった子どもたちへ観せていた紙芝居が福音館書店の編集者の目に止まり59年に絵本「だむのおじさんたち」でデビュ-したのでした。加古さんは「かわ」「海」「地球」「宇宙」など、子供の好奇心を引き出す科学絵本も数多く手がけています、自分が学生時代に学んだことや知識をもとにして、専門家に取材し最新の知見を盛り込み、わかりやすい文章や、押絵や、図版を多くして子供が喜んで学べる本にしています。
※「かわ」は絵巻じたての絵本で折り畳まれたページを広げると約7mにもなります両面印刷で、表はカラー(4色)印刷、うら面は、黒と水色の2色印刷になっています。表と裏、二通りの楽しみ方ができますよ。川の源流から海までの川の旅が一望できる本です、こんな本他にはありませんよ、ぜひ本屋さんで見てみてみて下さい。「海」も「地球」も「宇宙」も全部すばらしいから是非見てみて欲しい!!!大人が持っていてもいい絵本ですよ。
2008年には約29万点の資料をもとにまとめた「伝承遊び考」全4巻を完成させ菊池寛賞を受賞しています。亡くなる寸前まで盛んな創作意欲を見せていましたが5月2日亡くなられました・・・・・・・・・・合掌